ストラスブールの世界遺産登録拡大(2017) [ストラスブールのスポット]
ストラスブールは、世界遺産の町です。1988年に文化遺産となったときは、大聖堂(カテドラル)を中心とする旧市街のみの登録で、旧市街がイル川にぐるりと囲まれ、大きな島(イル)のようになっていることから、「グラン・ディル」(Grande-Île)として登録されていました。
ちなみに、このブログでも2012年に以下の記事を書いています。
世界遺産・ストラスブール(旧市街 - 「グラン・ディル」)
旧市街の中心は何と言っても大聖堂(Cathédrale Notre Dame de Strasbourg)です。アルザスの石で作られた赤い大聖堂は堂々としていて、それでいてたくさんの彫刻が繊細で、美しく壮麗でした。特に夕方には西日があたって一層赤く輝きます。
私がストラスブールにいたころにも世界遺産の登録を拡大しようという動きはありました。建物を綺麗に洗ったり改築したりしていましたが、その甲斐あってか、2017年にめでたくNeustadt(ノイシュタット)まで拡大登録され、今の世界遺産登録名は「ストラスブールのグラン・ディルとノイシュタット」(Strasbourg, Grande-Île et Neustadt(仏語))となっています。
(日本語は、 https://www.unesco.or.jp/ のリストより)
参考:UNESCO世界遺産、ストラスブールのページ
https://whc.unesco.org/fr/list/495/
Neustadtとはドイツ語の言葉で、英語でいうとnew townです。世界遺産に拡大登録されたNeustadtは、19世紀終わりから20世紀初め、ストラスブールがドイツ統治下にあった時期に作られた、新しい市街地なのです。主に、川に囲まれた旧市街の外、共和国広場(Place de la République)近辺からストラスブール大学(Université de Strasbourg)までの一画は、道がまっすぐで整然とした佇まいがあり、旧市街とは明らかに雰囲気が異なっています。
下の写真はストラスブール大学の建物、Palais Universitaireです。ネット記事によると、イタリアネオルネッサンス様式、1884年のものです。正面にはゲーテ像、建物の上にはルターなど偉人の彫刻があり、中には優雅なホールも配置されています。この建物の向こうには植物園等もあります。
(かつてNeustadt関係イベントで大学周辺を歩いたときのブログはこちら。)
もう少し近くに寄って撮った写真もありました。旧市街の少しくねったような木骨をもつコロンバージュの家並みとは異なり、整然とした建物であることがわかります。
共和国広場とストラスブール大学の間に建つサン・ポール教会(Église St-Paul)は、かつてドイツ駐屯軍のプロテスタントの兵士たちが使っていたそうです。以前は赤黒かったのに、洗い終わったら白っぽくなりました。大聖堂も洗えばもっと輝くのかもしれません。
(教会内に入ったときのブログはこちら)
共和国広場は、いつも手入れされ、芝生や小道もかっちりと保たれていました。ただ、春先だけは、モクレンが咲きほこり、華やかな景色を見せてくれました。ここのモクレンの蕾が膨らんでくると、ああ春が近いんだなと感じたのを思い出します。
旧市街側の入口から見た広場は、建物があまり見えずスカッとした雰囲気を持っています。
逆の入口から見ると、広場の向こうに大聖堂が見えます。
中央にある像は、息子たちをフランス、ドイツそれぞれの軍にとられ亡くした母(と息子たち)の像です。ドイツ、フランスの間で翻弄され、たびたび国籍が変わったストラスブールでは、実際にこういうことがあったのです。ドイツ風の区画にこの像があるのは何とも印象的です。ストラスブールにEU議会や欧州人権裁判所が置かれているのは、こういう歴史を持つ街だからなのです。
広場の周囲にはもともとライン宮殿(Palais du Rhin)、図書館のほか、ドイツの公的機関が配置されていたようですが、今は県庁、劇場などになっていて、平和です。
ライン宮殿は皇帝の館らしく、どっしりしています。公開時に中に入ったら、意外と優雅でした。
(中を見学したときのブログはこちら)
世界遺産の委員会は、今年は遅れているようです。昨年までの段階で、世界遺産は1,121件、フランスは45件、日本は23件。うち、両国共通の世界遺産は「ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献」の1件。外に出づらい今年は、上野公園でフランスに思いをはせるのも良い?
ちなみに、このブログでも2012年に以下の記事を書いています。
世界遺産・ストラスブール(旧市街 - 「グラン・ディル」)
旧市街の中心は何と言っても大聖堂(Cathédrale Notre Dame de Strasbourg)です。アルザスの石で作られた赤い大聖堂は堂々としていて、それでいてたくさんの彫刻が繊細で、美しく壮麗でした。特に夕方には西日があたって一層赤く輝きます。
私がストラスブールにいたころにも世界遺産の登録を拡大しようという動きはありました。建物を綺麗に洗ったり改築したりしていましたが、その甲斐あってか、2017年にめでたくNeustadt(ノイシュタット)まで拡大登録され、今の世界遺産登録名は「ストラスブールのグラン・ディルとノイシュタット」(Strasbourg, Grande-Île et Neustadt(仏語))となっています。
(日本語は、 https://www.unesco.or.jp/ のリストより)
参考:UNESCO世界遺産、ストラスブールのページ
https://whc.unesco.org/fr/list/495/
Neustadtとはドイツ語の言葉で、英語でいうとnew townです。世界遺産に拡大登録されたNeustadtは、19世紀終わりから20世紀初め、ストラスブールがドイツ統治下にあった時期に作られた、新しい市街地なのです。主に、川に囲まれた旧市街の外、共和国広場(Place de la République)近辺からストラスブール大学(Université de Strasbourg)までの一画は、道がまっすぐで整然とした佇まいがあり、旧市街とは明らかに雰囲気が異なっています。
下の写真はストラスブール大学の建物、Palais Universitaireです。ネット記事によると、イタリアネオルネッサンス様式、1884年のものです。正面にはゲーテ像、建物の上にはルターなど偉人の彫刻があり、中には優雅なホールも配置されています。この建物の向こうには植物園等もあります。
(かつてNeustadt関係イベントで大学周辺を歩いたときのブログはこちら。)
もう少し近くに寄って撮った写真もありました。旧市街の少しくねったような木骨をもつコロンバージュの家並みとは異なり、整然とした建物であることがわかります。
共和国広場とストラスブール大学の間に建つサン・ポール教会(Église St-Paul)は、かつてドイツ駐屯軍のプロテスタントの兵士たちが使っていたそうです。以前は赤黒かったのに、洗い終わったら白っぽくなりました。大聖堂も洗えばもっと輝くのかもしれません。
(教会内に入ったときのブログはこちら)
共和国広場は、いつも手入れされ、芝生や小道もかっちりと保たれていました。ただ、春先だけは、モクレンが咲きほこり、華やかな景色を見せてくれました。ここのモクレンの蕾が膨らんでくると、ああ春が近いんだなと感じたのを思い出します。
旧市街側の入口から見た広場は、建物があまり見えずスカッとした雰囲気を持っています。
逆の入口から見ると、広場の向こうに大聖堂が見えます。
中央にある像は、息子たちをフランス、ドイツそれぞれの軍にとられ亡くした母(と息子たち)の像です。ドイツ、フランスの間で翻弄され、たびたび国籍が変わったストラスブールでは、実際にこういうことがあったのです。ドイツ風の区画にこの像があるのは何とも印象的です。ストラスブールにEU議会や欧州人権裁判所が置かれているのは、こういう歴史を持つ街だからなのです。
広場の周囲にはもともとライン宮殿(Palais du Rhin)、図書館のほか、ドイツの公的機関が配置されていたようですが、今は県庁、劇場などになっていて、平和です。
ライン宮殿は皇帝の館らしく、どっしりしています。公開時に中に入ったら、意外と優雅でした。
(中を見学したときのブログはこちら)
世界遺産の委員会は、今年は遅れているようです。昨年までの段階で、世界遺産は1,121件、フランスは45件、日本は23件。うち、両国共通の世界遺産は「ル・コルビュジエの建築作品‐近代建築運動への顕著な貢献」の1件。外に出づらい今年は、上野公園でフランスに思いをはせるのも良い?
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